ミャンマー政権が中国人犯罪者155人を特赦の怪(「月刊中国」157号より)

国際野生生物保護組織が2014年4月1日に発表した写真には、2011年1月23日にミャンマー北部の労働者たちが、非合法で伐採した木材を中国に運んでいるところが写っている。この写真は、2015年7月24日の「博訊」にも掲載された。

ミャンマーの裁判所では、150人の中国人木材伐採労働者を逮捕し、「非合法入国罪」「環境破壊罪」「不法伐採罪」などで重罪を認定して有罪判決を下した。中国人150人の中には17歳の未成年も2人おり、その2人には懲役10年が言い渡され、残りの者は無期懲役を言い渡された。中に麻薬所持者が1人おり、それは懲役35年を言い渡された。

ミャンマー政府報道官によれば ミャンマー国民は他国で犯罪を犯した場合には現地の法律に従って司法判断を受けるものであり、今回の有罪判決に中共は外交手段を使ってミャンマーに干渉しないよう訴えた。しかし中共は、この訴えを聞く耳を持っていなかった。

最近、中国では60歳代の日本人が麻薬所持で死刑を言い渡された。それなのに中国人155人がミャンマーで有罪判決を受けたら、賄賂を使って全員帰国させたとネットで大騒ぎになっている。

10年前に靖国神社で中国人がペンキをかけた事件があったか、犯罪者の中国人は平然と帰国し「抗日英雄」となっている○中国のネットでは、安倍首相は日本の領土も国民も守れないが、習大大(習近平のこと)は犯罪者で無期懲役を受けた国民でも取り戻せる・‥と書き込みが溢れている。

ミャンマーの裁判長は、「我々の環境と森林を破壊した中国人に20年から無期の判決を言い渡した」と発表した。「量刑に不満があれば、ミャンマー連邦裁判所に上告できる」と付け加えている。

中国には現在、伐採可能な森林は存在しない。近海も汚染され、魚も全滅状態にある。そうなれば、他国から略奪するしか方法がない。数十年も前から中国では、「略奪経済」が常識になっている。

習近平が「一帯一路」(陸のシルクロードと海のシルクロードの合体)を21世紀戦略として発表した直後の今年3月、雲南省とミャンマーの国境地帯を視察している。ここには大きな問題がある。

中共政権とミャンマー政府各界には連絡回路が4つある。

  • 中共中央対外連絡部とミャンマー政権。
  • 中共外交部とミャンマー軍政府。
  • 中共国家安全部とミャンマー北部の少数民族武装組織。
  • 雲南省など中共地方政府とミャンマー国墳諸民族。

長い間、雲南省とミャンマー国軽の住民たちは当局の指示など無視していた。解放軍総参謀部が編集した「ミャンマー武装力量研究」という本に、ミャンマー北部の各民族と雲南省との経済貿易交流が極めて密接だということが書かれている。習近平の「反腐敗」によって、雲南省官僚たちの腐敗行為が摘発に向かうことになった。

1990年代から、ミャンマー共産党軍の残党である「克欽民主軍」と雲南省との間で、「欽雲連合公司」「雪花公司」などが結成され、1996年かちは雲南省の「雲森木葉」なども克欽民主軍と協議を進め、ミャンマー北部の森林伐採の協定をまとめた。

2006年からは、木材資源の密輸を両国が取り交わしている。

ミャンマー北部から森林資源が雲南省に運び込まれているが、この事実を中共当局は黙認していた。雲両省当局も国境警察(中共国家安全部門)も運搬を保障していたのである。

1、習近平は雲両省からインド洋に出る道を求めていた

中国が非合法でミャンマーの森林資源を不法伐採し、155人が重い有罪判決を言い渡されたことについて外交部報道官は、「我々はこの問題に高度な関心を持っており、ミャンマー政府と交渉している」と話していた。ミャンマー駐在の中国大使館は、中国人森林伐採労働者を不法分子として扱わないよう申し入れている。

雲南省の事情通によれば、雲両省の官僚は国境地域に「インド洋公司」を設立し、生態建設産業化を旗印にしてミャンマー木材の加工業を営んでいるとのことである。雲南省からは、非合法でミャンマーに越境侵入し、木材伐採労働者にミャンマー森林資源の伐採・密輸をやらせている。

この国境地域は軍閥の闘争が絶えず、麻薬・賭博・人身売買・エイズは日常的なこととなっている。

中共18大会の後、雲両省官僚は省級幹部4人が「反腐敗」で逮捕されており、2014年には平均して毎週1人の幹部が取り調べを受けた。「反腐敗」で雲両省は国土資源・交通・住宅建築・税務・医療・教育などの分野に中央からの調査が入っている。雲高谷の官僚を大規模異動させ、腐敗官僚とミャンマー北部の武装勢力との連携を断絶させる。

北京の中央政府は中国人に対してミャンマーとの関係がどうなっているかを教えていない。中共安全部長の馬延を逮捕、中共軍事科学院の黄星を逮捕し、ミャンマーに中共の機密情報が漏洩したことを明かにした。中共内部も、情報漏洩の危険が危険が増大している。雲南省省長の陳豪、副省長の張太源、など習近平の信頼出来る部下が緊急に送り込まれた。これらは習近平が上海で書記だった頃の部下である。

それと同じ日に、武装警察経塚北京総隊副司令の李志剛少将も雲南省武装警察部隊の総司令官に任命された。彼も信頼出来る部下の一人である。習近平は今年の初旬に雲両省を訪問し、雲南省を重視していることをアピールした。雲南省は、北京・天津・河北との関係性も薄く、習近平の「一帯一路」のためのインド洋に出る玄関口だと見られている。ミャンマー・ラオス・ベトナムとのルートは重要になってくる。

雲南省の腐敗官僚を徹底的に摘発しているポーズを見せて、ミャンマーのスーチー女史を北京に招待したのである。しかし雲南省の地方土豪と官僚たちは、習近平の戦略に干渉し妨害をするものと見られており、国境地帯の公安部門は緊張が強いられる。

2、ミャンマー政府が155人の中国人犯罪者を特赦した裏

7月30日にミャンマー首相が森林不法伐採の中国人155人を、有罪判決を受けた後で特赦すると発表、同日19時には早々と中国領内に送り返した。これら非合法労働者155人が有罪判決を受けた翌日、中共外交部はミャンマー政府に対して交渉を開始した。ミャンマー政府報道官は、中共の外交圧力に耐え兼ねて国際社会に訴えたが、とうとう中共に屈服して特赦を決めた。

7月28日午後、ミャンマー首相官邸には「中国ミャンマー友好協会会長」が乗り込んだ。両国の友好交流と経済・文化交流の推進を強く申し入れられた。この友好協会会長というのか、中共国務院副総理だった耿飈の息子である。耿飈は長く外交部で働き、ミャンマー駐在大使も経験している。

清華大学を卒業した24歳の習近平は耿飈の秘書となり、耿飈は中共中央秘書長となった。習近平も現役転入し、副連職の機密秘書を担当している。

福建省書記となった習近平は、北京に行けば必ず耿飈の家を訪問した。2000年に国務院副総理・耿飈が死去した。福建省省長だった習近平は、息子の耿志遠と一緒に耿飈の遺骨を拾ったのである。

2010年に中国ヨーロッパ投資公司の社長となった耿志遠は、初めてミャンマーを訪問して中国人の多さに驚いている。耿志遠は北京に戻って調べたが、ミャンマーには中国との友好協会がなかったので、習近平のインド洋に出る夢を実現するためにも、友好協会を設立して両国関係を推進したのである。

中共の民間人という資格で耿志遠はミャンマーを訪問し、友好協会会長として首相官邸にも乗り込んでいる。中共外交部は圧力をかけるだけだが、犯罪者の特赦などは裏から手を回して話をまとめる。その上、彼が習近平と義兄弟の関係にあることはミャンマー政府も知っていることなのである。

習近平が派遣したことも承知の上で、ミャンマー政府は法律を歪めて中国人犯罪者155人を特赦して帰国させたのである。

これは習近平の「反腐敗」そのものであり、中共社会では許されない行為のはずである。ダブルスタンダード(二重基準)だと世界に証明したことになる。今回の特赦で、中共はミャンマー政府にいくら支払ったのかは不明だ。

習近平の腹心は耿志遠だけではない。胡耀邦の息子の胡徳平も腹心だ。2014年4月には日本を訪問し、安倍首相と会見。10月には習近平と幼少期から一緒の李小林(中国人民対外友好協会会長)も日本を訪問し、安倍首相と会見している。習近平の信頼する腹心たちは、「裏の外交」を担っている。

3、習近平は北京でミャンマー武装勢力と極秘会談

8月5日の「博聞社独家」の報道によれば、最近になってミャンマーの武装勢力である果敢民族戦線が代表者を北京に派遣し、中共中央の代表者と極秘会談したそうである。

果敢族との協議は北京からの要請で行われ、ミャンマーの情勢から「果敢民族戦線は臥薪嘗胆の時期なので、もう少しチャンスを待っている。タイからの武器調達も進み、今後の雨期のシーズンは待機する」との報告があった。

果敢民族戦線の代表者が北京に入った直後、中共は指定会談場所まで極秘で護送した。そこには中共の代表者も待っていた。果敢民族戦線からは中共に対して、「ベトナムに援助したように我々にも援助してほしい」と要望があった。中共は明確に答えなかったが、「軍事支配地を固守してチャンスを待て」と強調している。

果敢民族戦線の代表者・彰家声は果敢族で、四川省で1932年に生まれている。1948年に軍事訓練学校「新城進修班」を卒業し、中国共産党の訓練と支援を受けることになった。それ以降、20年間でミャンマー(ビルマ)共産党の重要なポストを務めた。

1989年に共産党を出て、ミャンマー政府と直接交渉して果敢自治区を獲得した。2009年には軍事衝突の後、果敢自治区を出たが、2014年に果敢同盟軍は再び果敢江西地区に戻ってゲリラ戦を展開し始めた。

2015年2月9日、ミャンマー民族民主同盟軍は軍事行動を通じて果敢自治区を取り戻すつもりだと表明した。果敢自治区の首府老街地区で政府軍と果敢民族戦線は激突し、それから彰家声は行方不明になっていた。

消息筋によれば、タイとミャンマーの国境地区委員会の会議で、ミャンマーは「果敢の彰家声はタイ国境地区で国際援助を奪う準備をしており、タイと連携して逮捕するようにしたい」と語ったそうである。

80歳を超えた影家声は、自分の武装勢力としての権勢が失われつつあり、力点が中国を含む国際社会からの援助に頼る方向に移っている。中国は第二次世界大戦後、ミャンマーの果敢地区は君主国に編入されたものと解釈している。彰家声は中共の指導したアジア地区におけるコミンテルンのメンバーだったとされている。

20世紀のコミンテルンは北京政府とつながっており、8月4日に習近平政権と極秘会談に至ったことも理解できる。習近平政権がミャンマー政府に圧力をかけることが、彰家声にどのような支援になるのだろうか。

今年2月、ミャンマー政府軍と果敢地区で武装勢力の衝突があった時、中国国境でも数人の戦死者、数十人の負傷者が出た、のだが、習近平は黙認する姿勢を貫いていた。中国の国内ネットは、尖閣諸島で海上保安庁が中国人を逮捕したというだけで大騒ぎを続けていたのだが、ミャンマー政府軍が雲南省にまで入り込んで中国人を殺害したことに対しては何もなかったかのように静観している。中共マスコミも、一切のコメントを控えている。

4月22日、習近平はアジアアフリカ指導者会議の席上、ミャンマー首相と会見した。習近平は回国は平和な話し合いを支持する。ミャンマー北部の問題は政治的解決を支持する」と述べている。

習近平政権のミャンマーに対する戦略目標は、経済的利益である。「一帯一路」という習近平の主張する経済発展戦略も、技資した1千億元は石油パイプラインの建設費用であり、将来的にはインド洋に出て行く道作りのためでもある。中共はミャンマー政府軍が国境を超えて雲南省に入り、中国人を殺害した行為も黙認していろ。抗議したこともない。

中共の軍事謀略はロシアを模倣しており、臥薪嘗胆してチャンスを待つようになっている。8月4日の北京での極秘会談も、どんなチャンスにつながるか。ミャンマー政府は、習近平が反政府指導者のスーチーと北京で会談したことに対して「内政干渉」だと厳重抗議している。その駆け引きの延長に、森林伐採の155人の中国人犯罪者の特赦問題もある。

習近平政権は彭家声のゲリラ軍隊を支持し、ミャンマー政府軍を果敢地区に引き付けておく作戦である。これは習近平のはっきりした態度である。消息筋の話では、果敢の彰家声は非公式ルートで北京に入り、また同様に非公式ルートでタイにも入った。タイとミャンマーの国境地区には彭家声の軍隊が拠点を置く。「兵庫通信」や「月刊中国」が昨年からこの件を報道している。

習近平政権は、これからも間違いなく彭家声の軍事勢力を支持し続ける。

(「月刊中国)157号 2015年10月発行 より)

 

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